逆行列

本記事は線形代数の講義をしていた時に、テキストの構成に感じた疑問の解決である。今回の内容は数学科以外の講義では難易度が高いのではないかと感じている。

定義

逆行列の定義は以下のように与えられるであろう。

正方行列 \(A\) に対して、\( AB = BA = E \) を満たす \( B \) を \(A\) の逆行列と呼び、\(A^{-1}\) で表す。

\(B\) が \(AB=E\) を満たす場合は \(A\) の右逆行列と呼び、\(BA=E\) を満たす場合は左逆行列と呼ぶ。結果的には、右逆行列または左逆行列は逆行列となるため区別する必要はなく、逆行列であることを示すためには右逆行列か左逆行列の一方を示せば良い。講義で使っていた教科書では、その証明を逆行列の公式を求めるまで先送りにした。実際には、そこまで先送りする必要はないのではないかと思い、連立方程式の理論だけで証明してみた。

正則の場合

この記事では基本変形は行基本変形だけを扱う。正方行列 \(A\) が単位行列 \(E\) に簡約化できるとき正則と定義する。正則でない場合を非正則と定義する。結果的に正則は逆行列の存在と同値になり、逆行列の存在を正則の定義とすることが多い。まず、正則行列 \(A\) に右逆行列が存在することを示す。\(AX=E\) を解くために \(X\) を \(X=\left( \, \mathbf{x}_1 \, \mathbf{x}_2 \, \cdots \, \mathbf{x}_n \, \right) \) と列ベクトルを用いて表すと、\(i=1,2,\cdots,n\) に対して連立方程式 \(A\mathbf{x}_i=\mathbf{e}_i \) を解くことになる。連立方程式は拡大係数行列 \( \left( A \,\mathbf{e}_i \right) \) を基本変形して解くことができるが、全ての \(i\) について基本変形の手順は同じにできるので、基本変形 \( \left( \,A \, E \, \right) \rightarrow \left( \,E \, B \, \right)\) によって、右逆行列 \(B\) が一意に求まる。次に、 \( B \) が左逆行列でもあることを示す。基本変形 \( \left( \,A \, E \,\right) \rightarrow \left( \,E \, B \,\right)\) は可逆であること、すなわち \( \left( \,E \, B \,\right) \rightarrow \left( \,A \, E \,\right)\) と基本変形できることに注意する。さらに行基本変形だけを用いたことに注意すると、 行基本変形で \( \left( \,B \, E \,\right) \rightarrow \left( \,E \, A \,\right)\) とできることも分かる。これは \( BX=E \) の解が \(X=A\) であること、すなわち \( BA=E \) を意味する。よって、\(B\) は \(A\) の左逆行列である。

非正則の場合

\(A\) が非正則の場合を考えよう。\(A\) の簡約行列を \(F(\neq E)\) とする。特に、\(F\) の第 \(n\) 行は零ベクトルである。 \(AX=E\) が解を持つと仮定する。これは任意の \(i\) について、 \( A\mathbf{x}_i = \mathbf{e}_i \) となる \(\mathbf{x}_i\) が存在することを意味する。任意のベクトル \( \mathbf{c} = c_1\mathbf{e}_1 + c_2\mathbf{e}_2 + \cdots + c_n\mathbf{e}_n \) に対して、\( A\mathbf{x}=\mathbf{c} \) は解 \( \mathbf{x} = c_1\mathbf{x}_1 + c_2\mathbf{x}_2 + \cdots + c_n\mathbf{x}_n\) を持つ。解を持たない連立方程式 \( A\mathbf{x}=\mathbf{d} \) が存在することを示して矛盾を導こう。基本変形は可逆なので、\(A\rightarrow F\) を逆にたどって \(F\rightarrow A\) と基本変形できる。\( F \) を拡張して \( \left(\,F\,\mathbf{e}_n\,\right) \) として同じ基本変形を行い \( \left(\,F\,\mathbf{e}_n\,\right) \rightarrow \left(\,A\,\mathbf{d}\,\right) \) を得たとする。連立方程式 \( A\mathbf{x}=\mathbf{d} \) を掃き出し法で解くと、\( \left(\,A\,\mathbf{d}\,\right) \rightarrow \left(\,F\,\mathbf{e}_n\,\right) \) となる。\(F\) の第 \(n\) 行は零ベクトルなので、連立方程式 \( A\mathbf{x}=\mathbf{d} \) は解を持たない。これは任意の右辺に対して解を持つことに反する。したがって、非正則な正方行列には逆行列が存在しない。特に、この時点で正則性と右逆行列の存在が同値であること示せたことに注意しよう。

左逆行列が存在しないことを示そう。\( XA=E \) は \( {}^t\!A \,{}^t \!X = E \) と同値であり、連立方程式で求めることはできるが、理論構成によっては、この時点では \( A \) と \({}^t\!A\) の正則性が同値と言えるかは疑問なので、基本変形とは別の方法を取る。\(A\) の左逆行列 \(B\) が存在すると仮定する。\(BA=E\) なので、\(A\) は \(B\) の右逆行列である。右逆行列が存在するから \(B\) は正則行列であり、\(A\) は \(B\) の逆行列である。したがって、\(AB=E\) であり、\(B\) は \(A\) の右逆行列でもある。これは非正則行列には右逆行列が存在しないことに反する。よって、非正則行列には左逆行列が存在しない。