予算の使い方 (1)

私が着任した 1990年頃は予算がまだ潤沢だった。私が配属になった研究室には年間 200万円ほど分配された。もう少し前は 300万円ほどあったらしい。その後 10年ほどの間に1/10くらいまで減額されていった。国の方針で予算の多くが競争的資金に移行したことが大きな要因である。本学では講師以上は一律で、助教はその 1/4とされていた。さらに各研究室には学生数に比例する予算が追加された。予算は所属研究室に分配された。すなわり、助教の予算は上司と同じ口座に分配され、上司次第では横取りされることもある。多くの研究室では助教の予算に手を付けるようなことはなかったが、教授と共同研究室を運営している准教授でも教授に横取りされた事例も聞いたことがある。私もほとんど使うことが許されなかった。その話には後程触れる。

大学の予算は単年度で消費されなければならず、繰り越しできない。当時は各研究室で使い切る必要はなく、大学全体(実際の運用では学部)で消費しきれれば良い。逆に言えば、赤字で終わる研究室があっても良い。年度末になると事務方から予算が残っているから使い切るようアナウンスがある。積極的に協力するのは赤字研究室で赤字が益々累積していく。大赤字のまま大学を移ったり、定年を迎えたりする事例がしばしばある。これ自体は大学としては収支が合っているので問題とならない。当該学科が赤字を補充しなければならない。教授陣が監督責任を取って、教授の研究室の予算だけが減額されていた。高額の設備を購入するために黒字を貯め込んでいた研究室があった。十分な予算が貯まり、いざ購入しようとしたら会計から待ったがかかった。大赤字の研究室があり、もう今年度予算が残っていないというのだ。これまでは学科内で解決する問題であったが、今回は学科をまたぐ問題となり学部で議論されることになった。これを機に各研究室に割り当てられた予算を単年度で使い切る制度に変更された。

さて、私の話に移ろう。私の予算は所属の響研究室に配分される。響教授からは自由に使って良いと言われていた。私の配分を超えても良いということだった。しかしながら、教授の計画を妨げる支出があってはならないので、消費するときはお伺いを立てることにした。すると実際には使用はほとんど許可されない。計算機アーキテクチャの演習を担当していた。講義を担当していた准教授から教科書の1部をコピーして頂き、それを元に教材を作っていた。教科書はヘネパタと呼ばれる洋書で、後に翻訳が出たので購入をしたいと申し出た。しかし、響教授からは「何でそんなものが要るんだ」と怒鳴りつけられ、却下された。授業で使う教科書すら購入が許されなかった。研究室に15年間在籍して、購入が許されたのは実質コンピュータ1台だけだ。プリンターも欲しいと要望したが、自分も買うから一緒に買っておくと言われたまま、買ってもらえなかった。購入前は教育用計算機の端末を与えられていた。余った予算で学生向けに数台購入したものを学生が優先的に譲ってくれたのが2台目のコンピューターだった。論文の掲載費用は研究室の予算から支払ったが、それは共著である響教授の負担すべきもので、私が負担するのは適切ではない。

ある准教授が大赤字のまま転出するという事件が起こった。その研究室には助教が配属されていた。助教の許可を得たということで、助教の予算も差し出した。学科として助教を保護すべきだと思うが、教授陣はそれを容認した。それでも焼け石に水である。残金は100万円を余裕で超えていた。研究室の資産を買い取るという名目で、残りの赤字は教授陣が被ることとなった。研究室の資産にそれだけの価値はない。響教授は買い取った資産に関心はない。老朽化した古いワークステーションも名義変更されるので、廃棄処分に手間がかかるが、部下の仕事なので響教授の負担ではない。プリンターを買えなかったことは既に書いたが、買い取った資産の中に古いプリンターを見つけ回収した。私の予算が研究室のためならまだしも、他の教員の不祥事を救うために使われるのはどう考えても不条理だ。

独法化の数年前から響教授は「独法化すれば借金がチャラになる」と言って、せっせと大赤字を作り出した。研究成果は全く上がっていないのに、一体何に消費しているのか。当然、私の予算もつぎ込んでいる。結局、借金は独法化に持ち越された。大赤字は毎年配分される予算から返すしかない。定年までに返済できるか危惧したある教授が、「四元の借金じゃないのか、定年後は四元に返させろ」と言い出したらしい。誤解は解けたようでなんとか事なきを得た。

私が准教授に昇進する前後で、助教の待遇に大きな改善があった。一つは助教の独立した口座が作ることができるようになったこと。学科会議で響教授が大反対して、私の口座は作られなかった。あれだけ反対しておきながら、後に響教授には全く記憶がなかった。もう1つは助教の予算が他の職位と対等になったことだ。私は既に昇進していたので恩恵を受けられなかった。当時の古株教授は研究能力が乏しく、私世代の教員も同様だったが、その後は優秀な教員が続々と入ってきていたので、研究費という意味では妥当な変更だったのではないか。